八重の桜28B:補給軽視は大本営だけにしてくれ


世界で唯一、餓死しても戦った兵は、日本兵である。

それだけ勇猛だったのだが、机上の空論で生きていた大本営が、勇ましくない補給を、著しく軽視したセイでもある。

補給軽視は、伝統らしい。

今の脚本家も大本営の精神を立派に受け継いでいる。

西郷たのもは、一番確実な補給路を担当する越後口の萱野長修へ、補給の連絡に行ったのである。

補給が途絶えれば、城は落ちる。

佐川官兵衛も補給路を確保しようと出陣したのであり、長命寺を中継拠点にすることは失敗したが、遊撃隊として、城外にいることにより、少量ではあるが、補給を可能にした。

補給路確保が第一なので昨日のたいそうな場面である。

実際は主戦派のお偉いさんが勢揃いで朝まで酒宴をしたせいで、遅れたようだ。

どっちかというと、戦う事しか知らない猪武者のお偉いさん達に、死んで戴こうというのが、長命寺の戦いではなかったか。

戦効よりも、立派に戦死したお偉いさんの首を城内に届けることを優先している。

その意味では、かなり効果的だった。

官兵衛は、ちゃんと生き延びて、遊撃隊になって、開城するまで、城への補給を支援している。

補給の責任者、萱野長修は、開城後刑死である。

補給の重要さは薩長は知っているからである。

しかし、ここをちゃんと描いては、大本営の補給軽視の精神に反するので、今の世になっても、大衆番組の脚本家ですら、補給は無視する。