八重の桜28:武士の気持ちには全く興味の無い脚本家


奥州連合がどう崩壊して行ったのかとか、

新政府軍の会津への兵力増強はとか、会津戦の方針は、

とか、

どんな形で包囲したとか、

だから、何処を通って何処からの補給路を確保しようとしたとか、

まるで、関心が無いらしい。

「どうせ負けたんでしょ」

で、一まとめでいいらしい。

戦闘は、「はい、ここで戦闘シーン」って、シーンを入れとけば、十分らしい。

それじゃあ、盛り上がりに欠けると思ったのか、砲弾処理を失敗するシーンにはスタントウーマン使っていたようだが、女子はもともと興味ないし、男子もそんな瑣末な所だけリアルっぽくしても感動は無いので、意味は無い。

だから、来週の開城も、理由はどうでもいいようだ。

何を当てにして戦っていて、どの目論見が絶望になって開城を決断したのかなんて、脚本家は、まるで、関心が無い。

容保が「戦え」というから戦って、「開城」って言ったから開城って、気持ちも意思も無い戦争ゲームの雑兵と同じでいいらしい。