国債の多さは勲章の大きさ


国内の銀行が引き受けるのなら、一京円だろうが。百京円だろうが、全く安心。

だって、借り手が、自由に法律決められるから。

日本の銀行は、日本の法律を守り、日本政府の出す政令に従い、日本の官僚の指導に従って、営業している。

当然のことだと思うが、借り手、貸し手と言い直すと。

貸し手は借り手の言いなり。


よく、サラ金の暴力取立てなんか、ドラマになるが、それが、全く逆になるのである。

弱弱わしいおばあさんが、「あのぉ返済・・・」

なんていうと、凄みの効いたお兄さんが

「はあ??? 今、なんていうた???、もっと貸さんかい。この前借りてから3日も経ってるだろ、返すのは百京円こえてからじゃ」

この街には、保安官も警官も弁護士も市民団体もコナンも必殺仕事人も存在しえません。

お兄さんのしゃべった言葉が法律で正義ですから。

(ちなみにこのお兄さんが紙に1万円手書いて判子押すと、それは正式なお金になる)


余裕がある時返せばいい借金なんて、無いも同然。

日本の銀行引き受けの国債による借金の多さは、勲章の大きさと同じ。