八重の桜15:慶喜の目論んだ共和制


信長は、キングオブジャパンである。

本能寺で倒れなければ、明を倒し「信」の初代皇帝であったろう。

秀吉は、徳川が歴史をなかったことにしたので、正しい評価がされていないが、太閤様なので、

公武合体」政治である。

公武合体はどうもしっくり来ないというので、豊臣政権は倒され、武家徳川時代が始まった。


家康が、苗字を松平を徳川に変えたのは、朱子学による。

徳のアル君主に家来が仕えるのが朱子学の思想。

君主が君主たりえるのは「徳」があるゆえ。

だから、徳川にしたのである。


朱子学は幕末に、松平の改革で、再び盛んになる。

他の学問を禁じてまで朱子学を広めた。


その結果、日本の王は本当は天皇じゃないか、っていうので、尊王運動である。

幕末の政治形態は、公武合体なのである。


インテリの間では徳川が特別の時代は去っていた。

一番は天皇だけど、大名は徳川を含めて、横一線。

一番偉い天皇がお持ちで無い行政能力を、次にえらい大名が行使するというのが、当時の最先端。


そうした場合一大名としての、徳川は圧倒的である。

衰えたとはいえ、薩摩の数倍の力がある。

公武合体、大名による共和制であれば、実力が突出している徳川家は未来永劫安泰なのである。

だから、慶喜は、徳川家だけ相続して、将軍は断った。

将軍になれば、キングの力が要求され、徳川家には、キングの力は無いから。

共和制なら、圧倒的な発言力を持っていてもである。


共和制が上手くいけば、武力の強い薩摩長州を、自分の駒として使える。

強力な駒を自ら潰すのは損というので、長州征伐中止なのである。