敗戦後の占領軍の日本支配その2
米軍が日本を直接支配するっていうんだから、政府はビックリ仰天。
夜に緊急閣議が開かれ、とりあえず、明日の公布を延期してもらおうとなって、
首相の「ひがしくにのみや」様が、「岡崎、ご苦労だけど、すぐに行ってもらいたい」と、いって
岡崎を参謀総長サザーランドの宿泊先の横浜ニューグランドホテルに行かせた。
着いたのは深夜0時をかなりすぎていた。
宿帳を見て寝室に行ったが、別人、しかし、射殺されても文句の言えない状況でやってきたことに激怒されるも、事情を話して、探してもらい、やっとつかまえたマーシャル少将に延期の約束を取り付ける。
が、参謀長とは会えなかったし、マッカーサーがダメだといえば、すぐに覆る。
午前5時に帰ってきた岡崎の報告を聞いて、マッカーサーに直談判しようと決断したのが、外務大臣、重光葵。
マッカーサーは両院議長と首相天皇の4名以外には面会しないといっているので、横浜税関で待ち伏せ。
この重光は、前日の調印の日本側の全権大使。
全世界に放送された降伏文書調印は、マッカーサーもかなり意気込んでいたらしいが、上手くいったので上機嫌だったようだ。
マッカーサーは、調印のときの重光の所作を見ているはず。
また、上海天皇説爆弾事件で、片足を失っても、停戦条約調印を急いだ男とか、弁当箱爆弾が投げ込まれても「国家斉唱中だから」と逃げなかった男とか、聞いていたのかもしれない。
アポ無しの面談に応じた上、3か条の取り消しまで約束してくれた。
重光は、無条件降伏といえど、約束したのは日本国家。
しかるに、この3か条は、日本国家の不存在を前提とした内容である。すなわち、この3か条公布は、ポツダム宣言や、降伏文書調印を、無効にしてしまう行為である。
行政権もない、裁判権も無い、通貨発行権も無いでは、国とは言えないのである。
代案は、米軍の直接統治ではなく、間に日本政府を介在させた、間接統治であった。
この代案は、米国にも利益をもたらすと説いたようだ。
馬鹿な国民から見ると、後ろに隠れた米軍は見えないので、日本が、軍国主義から民主主義に、変わっただけに見える。
しかし、米軍による間接統治は、直接統治よりはましではあるが、あくまで一時的な終戦処置であって、後々回復すべき政治体制である。
にもかかわらず、今でも続いているのが、日本なのである。
ちなみに、重光は、2週間後に外務大臣を辞任させられます。
米国にとって、日本の独立回復のためにこんなにも機動的に動く人物は、邪魔だったからであります。