敗戦後の占領軍の日本支配その1


元イラン大使、元自衛隊歴史教官の孫崎さんの「戦後史の正体」を広めることを目的にする。

驚いたことに、私が感じて、ここなどに書いていたことの裏づけになっているので、書きます。

羽生さんの「直感は誤らない」というお言葉の証明でもあります。


日本は戦争に負けたのに、返って幸せになったことに、不思議な感じを持った人は多いと思います。

これは、歴史から抹消された、いやいや正確には、歴史家から無視される偉人たちの快挙と、国際情勢の変化による占領軍の方針変換が原因の、偶然の賜物です。

憲法のおかげなんかじゃ決してありません。

はじまりから、みていきます。

占領の始まりは、敗戦の日です。

敗戦の日天皇がラジオ放送した8月15日じゃないですよ。

降伏文書に署名した9月2日ですよ。

NHKの受信契約を止めようと決意したのが8月15日でも、NHKとの受信契約が終了するのは、NHKといろいろ書類をやりとりして、NHKが書類を処理した9月2日になるというのと、同じです。

日本が戦争を止めるといっても、

「スミスも、マークも、ロバートも殺しておいて、馬鹿言ってんじゃねぇ。皆殺しだ」

といって、日本人を虐殺してしまう事だって、出来るわけです。

アルカイダが潜んでいる、日本はアルカイダを隠している」と言いがかりをつけて、隠れ家の可能性が高いと、民家を絨毯爆撃する事だってできますから、

日本が申し出た降伏を、「解った、戦争を止めてやる」と連合国が受け入れて、初めて戦争が終わるのです。

その調印を戦艦ミズーリ号艦上で行った9月2日9時25分が、終戦です。

無条件降伏で調印しろといわれて、日本側は調印しましたので、連合国、実際は天(アメ)様は、好き勝手言います。

オスプレイ配備みたいに、日本の反対運動を考慮するなんてありません。

布告すりゃいいのです。

実際、布告しようとした文章が、次の3か条です。

1.日本は米軍が英語で管理する(憲法も法律も命令ももちろん英語)
2.裁判は米軍の軍事裁判
3.通貨は米軍の軍票(十銭から百円までの七種類の軍票が用意されていた)

公布予定時刻は、調印の翌日の9月3日午前10時。

公布されちゃったのがドイツです。

調印の有った9月2日の午後4時に、参謀次長マーシャル少将が鈴木行使を呼びつけて、この旨を告げました。

しかし、この布告は日本では公布されてませんよね。

公布されていたら、絶対歴史の教科書に載りますから。

公布まで夜中含めて18時間しかなかったのに、公布を阻止した英雄がいたのです。続く