謙信の子供達
謙信の父は、守護上杉房能と戦い、勝利して、守護上杉房能を敗死させるが、国主になんかなれない。
守護代は、守護代なので、敗北死させた上杉房能の子を、守護に立てる。
子といっても、養子である。
その後、この傀儡である養子の守護に反発するというか、傀儡の守護を立てた守護代に反発するというか、前の守護上杉房能の敵を討とうという、関東管領の上杉軍、前の守護上杉房能の有力家臣団の反抗、さらにはこの養子上杉実定自身の反乱にもことごとく勝利して、越後での勢力を保った。
将軍から、国主の待遇を許してもらい、長男に将軍義晴の一字をもらいうけるのに22年、朝廷から、越後の内乱平定の綸旨を得るようになるまで、30年かかった。
その間、戦には全部勝たなきゃいけないし、将軍や朝廷へ献上品を送るのに、国も富まさなきゃいけない。
それができてこその、長尾家である。
すべてのお膳立てをしてもらっても、嫡男晴景は、父と同じように戦には勝てなかった。
父に従っていた越後の国侍も、次は長男です、はいそうですかとはならない。戦に負ければ、自分の会社は倒産するのである。もちろん命だってなくなる危険がある。自分の命だけではない、子供や妻、年老いた父母の命もかかっている。なにがなんでも、戦には負けちゃいけないのである。
それを知りすぎているからこそ、晴景は、苛烈な決断が下せなかったのかもしれない。
とたんに、傀儡だったはずの、越後守護、上杉実定に、実権を握られてしまう。
傀儡の上杉実定は、失うものなど、何もないので、どんどん決断できる。
ま、でも、上杉実定は、越後守護なんだから、形式的には、それがあるべき姿である。
で、自分を育てた、晴景の父がやったように、跡継ぎである。
傀儡なので、自分は子供を作らせてもらえなかったので、養子をとることにしたが、これが、大失敗。
越後の敵地ともいえる、伊達から養子をとろうとしたのに、越後の国侍が総反発。
(敵から養子をとるというのは、よくやることである。人質ともいわれるが、外交官の役目も強かった)
反発が強かったのは、上杉実定の力が弱かったのもあるし、国侍としては、この養子が守護になれば、自分たちは一掃され、養子の出身地の国侍が代わりに入ってくると心配したからである。
なにしろ、養子の出身地の国侍とは、長年戦争をしているので、恨みの種なんて、山盛りである。
越後の国侍にとっては、敵地出身の養子が守護になるのは、自殺行為に思えたのだろう。
この内乱の責任を取ってというか、内乱を鎮めるためというか、自分が殺されないために、守護の上杉実定は隠居する。
で、相対的に、謙信の兄、長尾晴景の地位が上がって、謙信の父の時代と似た感じに戻っただけなのである。
しかし、守護に復権されちゃった晴景である。
春日山の近くの侍はともかく、中越下越の侍は、たよっては自分の身が危ういというので、自主的にやるしかない。
それは、別の言葉でいうと、越後の内乱である。
続く