江ーオールキャストの小田原の役


上杉謙信が、ある程度で引き返したのは、大軍の半数以上が、上杉謙信が出征してきたときだけ、味方に付く武将だったためである。

ちょっと旗色が悪くなると途端に寝返える、越後以外の国の武将達で、何万もの大軍になっているのである。

かれらは、謙信が越後に帰ると、すぐに北条とよりを戻す。

そんな状況だから、小田原城を長期間包囲するのは、いつでも寝返ってくれといっているようなものだったので、できなかったのである。

北条側は、その秀吉軍内部の裏切りを、謙信の時の様に期待したんだろうと思われる。

しかし、秀吉は、人たらしの天才。しかも、本能寺の変から8年かけて、じっくりと心を掌握している。

九州征伐で、予行演習も十分している。寝返りの心配はない。

しかも、オールスター。

徳川家康はもちろん、後に北関東の押さえを任せられる蒲生氏郷、秀吉が来なければ九州を統一していた黒田如水、朝鮮の役と関が原で大活躍の宇喜多秀家、名門細川忠興五大老の1人小早川隆景、その甥の吉川広家、名将堀秀政、父が信長の乳兄弟の池田輝政

テレビでも出ていた、田渕女史が忘れちまっただけの、織田家の次男織田信雄や、織田信包おじさんも出陣している。

で、北国勢として、前田利家利長親子、上杉景勝直江兼続真田昌幸信繁親子。(伊達政宗も人質っぽい形で参加している)

出城は、兵力と武将力に物をいわせ、あっという間に落城(篭城側に倍するくらいの、膨大な死傷者は出したはずだが)。

水軍として、四国の長宗我部元親と鉄船で毛利水軍を破った九鬼嘉隆

兵站が途切れる心配は無い。

それに、長滞陣にもビクともしない秀吉の財力。

兵力差、財力差、武将力差に圧倒されて、厭戦気分が出たのは、篭城している北条からだった。

大将が死んでしまって、名前は残らないが、武田、明智、柴田、佐久間、滝川、信孝らの元家来の武将も、最後の手柄をと、死に花を咲かせたのではないだろうか。

淀殿を呼んだのは、小田原城の受け取りのため、淀殿が養っているそろばん上手な近江の侍達を呼び寄せたのだと思う