「妹を殺す」が正解の授業:官営学校の弊害


「姉の葬式に来た男性を好きになった次女が、その男性にもう一度会うためにどうすればいいか」という問題で、正解が「妹を殺してもう一度葬式をする」。どこかで見た小説の筋である。小説は夫の葬式で、同じ目的のために子供を殺した女の話だったと思うが。(話としては小説のほうが深みがある)

この教師は、馬鹿の代表だが、突出しているわけではない。馬鹿のピラミッドの頂点にいるやつである。

とすると、ざっくりいって、教職員の半数が教師の能力を持っていないということ。持っているのは、教師の権利だけである。

タバコ店が、タバコを売る権利があるからと、各家庭に強制的にタバコを買わせるのと同じである。

いやいや、タバコは捨てればすむが、授業は出ないと不良のレッテルを貼られてしまうから、それに数倍する暴行である。

教師の能力を持ったものが授業をするという、当たり前が実施されてほしい。

官営工場、官営農場はとっくの昔に崩壊しているというのに、官営学校は崩壊していない。

学校を民営化して、授業料を全額補助すればいいだけのことである。その方が、費用は安いはず。日本にあった寺子屋文化の継承にもなる。

それを、阻むのは文部省関連と教職員組合の、既得賢者たちである。

犠牲になっているのは将来の大人たちである。