考察:大衆政治(4)

大衆は自分たちで物事を考えることができないといっても、洗脳されやすいといっても、思い通りに操れるというわけではありません。

洗脳するには時間がかかります。拉致問題の様にコツコツとやっていかないと。

クイズによる特権身分の付与も、時間かけてます。今、馬鹿といわれると、人格を否定されたように感じる人が多いのはその成果です。

たぶん、君にはどんなこともできる可能性がある、なんて、洗脳も、その一環だと思われます。

うそではないが、ほとんどの人はこの言葉を過剰に信じてしまう。そして、やればできるはずだと、思ってしまう。

やればできるというのは、確かに本当であるが、例えば、やるというのは、できた人にとっては、密度の濃い10時間の勉強であるが、できない人は、密度の薄い3時間の勉強なのである。

自分の背丈にあった今年がイメージできないので、できない人は密度なんて、そもそも考えられない。普段3分しか集中できないので、3時間なんていうのは、ものすごいことである。

しかし、できた人は、ぼおっとしていても、3時間くらいは勉強しちゃうのである。集中を考えないと何時間でも勉強できるが、さすがに集中は長くは続かないので、1日10時間程度で切り上げて、集中力を増した勉強をした方が効率的だと、悟るのである。

できない人は、だらだらした3時間が限界なので、そんなんでは、もちろん目標は達成しないのであるので、挫折感を味わう。

できた人からみれば、その人は何もやっていないのに、できなかった人は、一生懸命やったのにだめだったと、挫折する。

そして、クイズの正解者が身分を得ることになんの疑問も抱かない。

洗脳なんかは、他にもあるかもしれないが、ま、この、クイズの正解者が身分を得ることを安定させるために、「やればできる」というのを、使うのが、プロというか、センスというか、秀逸である。

だから、誰でもできるわけではない。

大衆が食いつくように餌を蒔く必要がある。つり名人のような才能が必要である。

魚が食べる餌が限られているように、大衆が食いつく思考も限られているのである。

飴玉じゃあ、魚は釣れないが、鳥の羽を上手に加工すると、食いつく魚もいるのである。