考察:大衆政治(3)

その小さい部分にまずまずの影響をあたえるのが大衆である。

ま、通過するだけで停車駅が無いのに、走行距離がもっとも長いというので、もっとも大きな負担金を出せといわれた新幹線に、文句をいった新潟県知事が、政府である。

文句は言っても、結局はお金を出す。

条例を作れるといっても、法律の範囲内。

本当に人民のための政治をやろうとすると、それは、支配者様たちの権力を殺いで、今まで権力なんかもっていなかった人民にあたえるってことなので、名古屋市長さんのように、支配者層からの大パッシング。

日本の内閣といっても、この程度の存在であるが、この、コップの中を決めるのに、大衆はほどほどの力を持っている。

で、この大衆の特徴というのは、正しく考えることができないということである。

こう書くと、人を馬鹿にしているって感じるのが大衆であるが、なぜなら、頭のいい人=国家公務員試験合格者=支配者B様は偉いと洗脳されているせいであるのであるが、「正しく考えることができない」というのは、性格のようなものである。

例えば、走るなんていうと、その道の方にとって1kmを3分で走るなんて、ごく普通のことである。わかりやすく言うと100m18秒で、連続10本だと、1km3分で走れるが、私はこの意味で、普通に走るなんて、今後一度もしないでしょう。死ぬまで「普通に走る」なんて、やろうとも思いません。

だからといって、私は、それゆえに自分を卑下することはありません。例えば森公美子さんも、同じであろう。彼女の場合は、冷房の無い中を歩くことさえないだろう。しかし、彼女の偉さは、少しも損なわれない。

彼女ほどふっくらしていない、宮崎駿も、北野武も同じであろうが、それによって偉さは少しも損なわれない。

だから、馬鹿にしているわけじゃないですが、大衆というのは正しく考えることができません。

自分たちの考えていいと思った考え方で考えます。

お笑い芸人のギャグが「受ける」という現象を考えてみれば、わかりやすいでしょうが。

でたらめな事を、ばかげたことを言えば、それで笑いが取れるかといえば、そんなもんじゃありません。

旨く受けないと笑いが取れません。この「受ける」というのが、大衆が考えてもいいという思考方法に沿った思考の動きなんです。

つまり、大衆は「受ける」ことで、ひとつの方向に動きます。