考察:大衆政治論(1)

主権在民というが、その力が発揮できるのは、選挙の時だけである。

ま、まれに、「世論」というので力を発揮するが、それは自ら発揮しているとは言い難い。操作されているだけなので、後で考える。

そして、もっとまれに、示威行動が政治を動かす場合もある。最も有名なのは、マスコミで面白おかしく取り上げられた汚職を、法律に基づいて処理した検察庁への反応である。法律に従っての処理が、不正義という扱いをされたので、以後、マスコミで面白おかしく取り上げられた汚職事件は、超法規的に検察が動くようになる。
検察庁は、面白おかしくマスコミに取り上げられた汚職事件は、法律より、正義を優先するようになった。
ま、これも、もっともっと小さいことなので、後の後で考える。

話を戻すと、大衆が政治に参加できるのは、選挙だけであるので、ここがメインである。

選挙は、固定票、浮動票、棄権の3つに分かれるが、固定票は政治的には大衆ではない。構成員がどんなに馬鹿でも、マスコミの思い通りに洗脳されていても、固定票を投じるうちは、大衆ではない。

浮動票を投じるものが、大衆と非大衆である。
政府の広報部に踊らされてもマスコミに踊らされても、投票先は選挙の度に変わるが、状況を自ら正しく分析しても、投票すべき内容は、選挙の度に変わる。

例えば2人区。

投票すべき政党が一人の候補しか立てない。
かつ、ダントツの一位当選が予想される。
かつ、2位予想が反投票すべき党の候補。
かつ、3位予想が反投票すべき党には絶対反対の党の候補。

という状況なら、投票すべき政党の候補への投票は無駄である。
ここですべきは、反投票すべき政党の候補者の落選につながる投票である。
従って、3位予想候補へ投票すべきである。

3位予想候補が当選すれば、反投票すべき政党の候補は落選し、投票すべき党の力が増すからである。

こう考えて投票するのが、本来の非大衆であるが、自ら考えてダントツの投票すべき党に投票するのも、非大衆の仲間に入れていいと思う。

それ以外は大衆である。今回の選挙では消費税を気にしていたような主権者様たちのことである。