毒ラジオ


今、「きづなを考える」なんて、毒放送が流れている。

何故、毒というのかというと、考えてないのに、自分の好き勝手いっているだけなのに、「考えた」ような気になって、ちっとも考えずに、自分の好き勝手な思いだけなのに、皆で考えているような気になるからである。

視聴率を目当てにやっている極悪番組である。
たぶん、通信販売の無償返品が当然という、日本を作り上げる元になっている。
恥知らずのクレーマーを蔓延らせる温床になっている。

てくだは、こうである。

テーマとして、重要そうで、身近でなおかつ、あいまいなものを選定する。「いじめ」も同じである。殺人から、単なる被害妄想まで全て入る。

「いじめ」はもう、飽きた。

で、「きづな」である。

好き勝手なことをいっても、紛糾しないように、参加者は、相手の言うことを否定してはいけない。また、司会者は、誰かが否定しそうな話は、排除する。万人が「あるある」って頷くような話を並べる。

ま、そこが番組プロデゥーサーと司会者の腕の見せ所である。

いろんな方面から、話を集めながらも、それは、万人が頷く内容のものだけに限定している。

読者の投稿も同じ基準で選別する。

ひとつの採用投稿の後ろには、幾千幾万の見捨てられた投稿が累々と横たわっているのだが、そんなのは、見せないから、見せられない視聴者にしてみれば、無いのと同じ。

視聴者は、ただ笑っているだけであるが、考えたと思わされる。ちっとも考えていないのに。視聴者がおいしいと思う料理を順番に食べさせれれているだけなのに。

視聴者がええっと思いそうなことは、徹底的に排除するので、視聴者はラジオを聴きながら、好き勝手なことを思っているのだが、その思いが一度も否定されないので、そして、好き勝手にどんどん思いを深められるので、ラジオを聴いている全国のリスナーと繋がったと錯覚する。

テーマの選び方の妙と、みなが納得する話だけを並べるテクニックの賜物である。

かくしてリスナーは自分の気持ちは全国に共有されていると勘違いし、その0.1%は、頑強なクレーマーとなる。