「竜馬伝」薩摩はどうした


幕府内部でも、心あるものは、どうすべきか知っていたはず。
現に島津斉彬は、黒船来航の2ヶ月前に造船所を作り始めている。
明治政府の取った、富国強兵策である。
心あるものはもちろん献策したはずである。

しかし、正しいからこそ、理解はされない。

地動説を唱えたガリレオが、迫害されたようなものである。

「黒船が再来するのは、1年後であるそ、そんな悠長なことを言っておる場合ではない」

とか、いわれたと思う。

それでも、幕府は横須賀に造船所を作った。

明治政府の快進撃も、幕府の心ある者たちによる、産業基盤の構築を、そっくり頂けたからである。

薩摩藩を見れば、日本の進むべき道はわかったはずである。

薩摩藩は、幕府にかなり財政援助をしている。
下種な役人は、広く献策を募れば、薩摩みたいに幕府に財政援助してくれる藩が、もっと出てくるんじゃないかと、期待したんだろう。

ま、そこまではいかなくても、これから強化する国防費を、幕府から支給していては、幕府の財政は破綻する。それよりも、各藩にやる気を出してもらえば、幕府がお金を出さなくても、各藩が自費で国防費を負担してくれるんじゃないかっていう、役人的発想があって、各藩に相談したんだと思う。

木を見て、森を見ずという、如何にも役人の発想である。

注、黒船がインディペンデンスデイの宇宙船の巨大母艦相当と何回か前に書いた日記の通りの演出であったところは◎だった。