中島みゆきお嬢様が夢に出ていらした


哲学をちょっと始めたばかりのバカは、「自分が死んだら、世の中も消滅するのでは?」って疑問に陥る。
ある程度のレベルの疑問である。
警備会社が監視カメラで、コンビニを監視していて、コンビニが停電になると、モニター画面が真っ暗になってしまうのと、同じである。
ま、同時に、テロリストが、警備会社の警備室も停電にすれば、すべて真っ暗である。

警備室のものは消滅していなくても、コンビニは消滅していなくても、まったく認識できない。

人は自分の目を使ってでしか、物を見れないし、自分の脳みそを使ってでしか物を考えられない。

見て、考えた結果、世の中があるって判断しているのである。

他人の考えも、自分の考えと照らし合わせた上で、推察しかしていない。

将棋では、羽生さんの考えていることは、全ては、わからないことをプロ棋士は知っている。一般人と比べると、将棋については、途方も無く膨大に、深く理解しているのが、プロ棋士であるが、それでも、自分を凌駕する、そして、どう凌駕しているのかも認識できないほどの人物がいることを知っていて、そのことは理解できる。

しかし、一般人は、難しいであろう。そんな経験はないだろう。
自分の考えの及ぶ範囲内で世界を他人を決め付けている。

その、世界や他人は、確かに、自分の死と共に消滅する。

凡人が、死を、世界の終わりのように恐れるのは、そういう意味だと思う。

私は中島みゆきお嬢様の研究者にはなるつもりはない。好きではあるが、そのことに一生をささげるつもりは無い。

ということは、私の中島みゆきお嬢様は、私の思いである。
ならば、夢においでになったのは、本物のお嬢様である。

ありがたやありがたや。