歴史を考える:家康が手紙で作ったバーチャル天下


今携帯が行き渡って、恋愛事情がかなり変わった。
ま、携帯といっても、電話だけの時代から、メールがむしろ主になったり、ネットも携帯でするようになったりで、かなり変わっている。
自分が若いころは、家電(いえでん)の時代。
彼女の家に電話である。まず、親が出るのである。
今の子供には考えられないことだろうと思う。

その前は、手紙だったろうし、その前は、通信手段は、なにも無かった時代である。

秀吉は、自分がNO.1と認めてもらうために、官位を使った。
生まれながらの、織田家の長男である信長は、親戚兄弟との戦争に勝つ必要はあったが、自分のなかまたちというか、自分の家臣団に、自分の偉さを説明する必要はなかった。
戦争で負かした旧支配集団を追い出して、自分の家臣の中の有能なものに統治させる方式をとることによって、織田家を全国規模に拡大することによってであるので、それ以上に、自分の偉さを説明する必要は無かった。

しかし、秀吉はご主人の跡取りを殺しまくった身なので、それゆえに偉いってことになれば、自分が隙を見せたときに、自分を殺されても、それも正義になってしまう。
そこで、利用したのが、官位。
関白という最高の地位を手に入れた。
で、院政を真似たのであろう、太閤になって、関白を操ろうとして、失敗。その時点で、豊臣政権の命運は尽きていた。

で、その過程で全国の有力武将に、関白より下の官位を与えていた。その中で、筆頭が徳川家康
当初は、徳川を牽制する、豊臣秀家、豊臣英次、前田利家上杉景勝毛利輝元蒲生氏郷って、十分な陣容だったが、次々を死んじゃって、気がつくと、一番が家康で、多少離れて、前田、上杉、毛利ってなってしまっていた。

で、家康が、この地位のほかに、活用したのが、当時大流行した手紙である。
今で言うメール出しまくりに近い、手紙の出しまくりで、全国の武将とお友達になっていった。

で、当時はネットはもちろん、テレビラジオ新聞は無い。気の効いた大名は、自らお金を指して、諜報部員を雇っていたが、情報にお金を使うなんて、考えられない、おばかな大名にとって、全国の情勢を知るのに、この、手紙は重要だったろうとおもわれる。というか、他に無い。

ネットでバーチャルな世界が作られるように、この時代では、頻繁に出す手紙で、バーチャルな天下が作られていたって。
自ら諜報機関を持たない大名にとっては、この、バーチャルな天下だけが天下。