鬼畜にも劣るで30年:軽罰化からの立ち直り


戦争で、罪も無いのに殺され、罪も無いのに殺しの反動で、やたら犯罪者をかばう風潮ができ、判例なので、一度前例ができるとそれが積み重なり「法」になってしまった。
その是正がやっと始まった。
死刑にできないのは法律の壁。

人を殺しても、心神喪失状態だったので「無罪」に味をしめた犯人が起こしたのが、池田小学校事件。

3人も殺さないと死刑にならない。

反省とか悔悛とかが、たやすく認定される。

刑務所は厚生施設であるという思い上がり。人間がそうたやすく人を厚生できるわけが無いのに。ま、本気で更生を目指すなら、担当の精神科医をつけ、1日平均1時間以上のカウンセリングは最低限必要なのに、そんなことする気は無いというのに、更生を目指すという思い上がり。
ま、更生というのは、ブッシュに靴を投げつけた新聞記者程度なら、今の制度で可能ではある。日本で言うと、交通事故であろうか。

更生は、する気は無かった過失犯と、ヤル気でやった故意犯はまるで違う。
過失犯は「更生」を、故意犯は「犯罪の報いを受ける」と分けるべきではないか。

ま、とにかく、「私は百人の真犯人を採り逃すことになったとしても、ひとりの冤罪を生んでしまうことを恐れる」といった人に、拍手喝采を送った時代があったことを忘れてはいけない。
世の中は自然に常識に従って移り変わるが、法は、意識して改正しない限り、常識がいくら変わっても、変わらないように出来ている。