天地人:関が原前の五大老の家の内部分裂


関が原の1年半前迄、朝鮮で戦っているのである。
で、指揮者の死という、なんとも情けない理由で撤退。秀次を殺していなければ、秀吉が死んでも戦いは継続。
たぶん、秀次か中国の「豊」という新王朝の、初代皇帝になっていたことでしょう。
ま、でも、殺しちゃって、次の指導者がいないので、撤退はしょうがない。江戸幕府や平成の首相みたいに、子供や馬鹿がテッペン勤まる時代ではない。
出兵した武将にすれば、2度の大投資をただで駄目にされたのと同じ。大損害である。
しかし、自分たちは、戦いに勝つという能力しかないので、それを生かして稼ぐには、平和じゃだめ。
全国平定しちゃった豊臣では、選に漏れた武将は、稼ぎ様が無いし、十分な恩賞じゃないと不満の武士もいる。

官僚という新しい才能で、大いに稼いで活躍する「石田三成憎し」はわかる。

そういった風潮を利用して、家康は五大老の家の内紛を図る。家康の陰謀ではなく、自然発生したのかもしれない。

秀吉直属の五大老宇喜多秀家は、宇喜多騒動で、有力な武将が離反。離反のメインは、千姫救出で唐突に名前がでてくる坂崎直盛、旧名宇喜多詮家。
前田利家を継いだ利長は、自身が揺れる。利家の意思をついで反家康を表明するも、豊臣家に応援を拒否され屈服。(豊臣家を守ろうとしたこと自体、馬鹿である。家康の様に、徳川家に取って代わろうとしなければいけない。豊臣秀吉自体がそうやって太閤になったのだから。家康だって、徳川家を守ろうとすれば、柴田勝家の様に失敗していたろう)で、反家康勢力は、弟の利政に終結
毛利はご存知の通り、西軍の総大将の毛利輝元の長男家対、宰相の空弁当の次男の家の吉川広家と三男の家の小早川秀秋

で、ある意味一番割れやすいかと思われていた景勝と「かねつぐ」。「かねつぐ」は、景勝とは別に米沢を、秀吉自身から拝領する話もあったくらい。

家康も、かなり期待したんじゃなかろうか。直江状に激怒するのは、この期待があったためなんじゃなかろうか。もしくは、デキレース?。この直江状、どれが本物かわからないくらい、写本がたくさん残っている。

後に出てくるが、「かねつぐ」が実子を廃して養子にしたのは、家康の参謀の本多正信の子供である。

小山を引き返す家康を追撃しなかったのは、景勝が「かねつぐ」に、不安を抱いていたっていうのも、あるかもしれない。