「家」は会社だった


仏教とご先祖様は違う。
真宗正信偈には、ご先祖様も父母も出てきません。
キリストが親孝行したなんてないですし、大工の職も継ぎません。
ご先祖様は宗教と別で、それより前です。

ま、家ですね。

昔は、戸籍が家単位で、今も結婚すると新しい戸籍というので、その名残は残っていますが。

家を大事にしないなんて嘆いていますが、それは、家が家じゃなくなったせいです。

大事にされていたころの家は、今で言う「会社」でした。
しかも、一代きりじゃなく永遠に採用してくれる(長男一人だけですが)
しかも、リストラなし。

今、こんな会社があれば、そりゃ誰だって会社様様様でしょう。それが、家だったのです。

武士が武士として暮らしていけるのは家があるからでした。
農家が農家としてやっていけるのは、農地があるからでした。農地が家です。
商家が商売やっていけるのは、のれんがあるからでした。のれんが家です。

今の人が思い浮かべる、やおやさん魚屋さんって、昔からじゃないですよね。昔は市や行商でしたよね。そういうのは家じゃないです。家の苗くらいで、やっぱり育たなかったというか、時代のあだ花。

そうじゃない、長く続いた家は、超優良企業ってことです。
今の人が会社人間で、過労死してまで会社のために働くのと同じように、昔は家が会社でしたから、いわずもがなで、超大切です。昔は転職なんて不可能に近いですから、超超超大切です。

こう考えると理解は簡単ですよね。
仕事を保障しない家は、家じゃないんです。
大事にされなくて当たり前なんです。