現代律令政治


法「律」を政「令」によって意のままに操り、自らの利権を確保する政治。国会が決める予算は90兆、政「令」で使い道が決まる特別会計は倍以上の210兆というのが、端的な証拠だし、予算だって、政「令」でほとんど意のまま。

三権分立では、行政は国会の作る法律に拘束され、法律違反は行政行為といえども司法の捌きがある。
行政は立法と司法とで、牽制されている。
立法も、司法もしかりである。

しかるに、現代律令政治は、この立法と司法からの牽制を無力化し、伊のままに政治を操ることを可能にする。

法律ではこまごま決められないから、細部は政令できめていいという原則がある。
犯罪を犯したら罰するのは法律であるが、じゃあ、どこの刑務所に入れるかは、政令である如しである。

それを悪用し、法律では大枠だけを決め、実際は政令で肝心なところを決める。また、例外もたまにはあるよって、但し書きもつける。すると、法律による拘束は、ほとんどなくなる。

例えば、道路特定財源。道路整備にガソリン税を当てましょうというのが、法律。しかし、どこにどんな道路を作るかは、道路族官僚が決める。道路を作ってほしい団体は、陳情することになる。また、「暫定」だったはずの制度を、伸ばし伸ばして延々と恒久的に続ける。一度得たとってもおいしい権力は、手放すのがおしいからである。

この現代律令政治にいどもうなんて、勇ましいことをいっている政党があるが、B29は高射砲ですべて落とせるとか、戦車は竹の棒の先にくくりつけた地雷を戦車の下で爆発させることにより簡単に破壊できるなんていうのと同じにおいの感じもする。