続大雪山系遭難

10時間歩いたのは3日目。
初日も2日目と同じ距離なので、たぶん早朝から歩いているはず。なので、旅行日程としては、4日目くらいじゃないだろうか。
同種のツアーの中では、安いらしい。
ということは、日程を安く抑えるために、健脚コースにしたんだろう。

年をとると疲れは2日遅れてやってくる。
遭難当日は疲れがどっと出る日。
しかも、前日は雨の中の10時間走行。
ひとりは、歩き出してすぐに動けなくなったそうだが、15人もいてその中で一番体力の無い人ということだから、無理も無いと思う。
それ以外の人も、低体温症の中期の症状として、錯乱状態になりながら、歩いていたそうだ。
リュックが飛ばされるほどの強風、岩にしがみつくほどの強風の中、よくは聞き取れないだろうが、意味不明なことを叫びながら、映画の八甲田山の話題のシーンでもあった、寒いはずなのに服を脱ぐ人もいたらしい。

安い強行日程でも、雨くらいだと何とかなったんだろうが、20mの強風では、強行日程の4日目では、とても耐え切れない人が犠牲になった。
余裕をもった日程のパーティーは、30分遅れて同じ状態で出発して全員無事。

15人でガイド3人というのも、変。
普通なら体力別に5人でガイド一人づつではないだろうか。
しかし、強行日程ありきでは、体力の無い人向けに余計に宿泊することはできない。
また、当地の経験者のガイドは3人中1人。たぶんgpsの携帯電話も一人しか持っていない。
そこで、15人まとめてのツアーだと思う。

また、ガイドの質はどうだったのだろう。
低料金に抑えるにはガイドの人件費が一番大きいんじゃないだろうか。安くても請け負うガイドだったということで、ガイドの質も悪かった。
午前中というか、歩き出してすぐに、一人脱落、昼には4人がテント。しかも、一人はテントにはいって5分、残り一人もすぎにいびきをかかなくなり、脈が無いのを確認してから、何時間も連絡なし。
メールが午後6時で、救助要請が午後8時。
その前に最初のひとりとそれに付き添ったガイドの死も確認しているというのに。
目の前で起きていることを認めたくなかったんだと思う。
テントを張った時点救助要請していれば、もう死んじゃっている4人は手遅れだが、自力で個々に下山(もうガイドは残りひとりなので、遅れた人が出ても付き添うことはできない)した人たちの何人かは助かったかもしれない。

登山というのは、戦争や地震と同じようにふつうの生命保険が利かなくなる危ない行為だということだろう。そういうものを値切ると危険もさらに増大する。
とはいっても、テレビで2002年の事故の経験が生かされないなんていっていたので、7年に一度しかない程度の危険だから、交通事故や落雷の危険よりはずっと小さいので、運が悪かったというだけで済ましていいのかもしれない。