はじめに言葉ありき


哲学者は昔は利口だったが、今は馬鹿である。
実験結果は公表されているのだから、正しく思索できれば、哲学者は物理学者になれる。
また、数学なんて実験結果すら不要であるので、正しく哲学できれば、数学者である。
哲学者は考える範囲を、考えなしに広げてしまって、悦に入っているエッセイストといえる。
ま、でも、エッセイストでも最低限の基本はあって、生死のこととか、私って誰ってことあたりは、参考にはなる。
しかし、ちょっと進んで、お金って何ってことは、まるで考えていない。自分の世界で遊びたがる。だから、エッセイストなんであるが。

話を戻して、哲学者というエッセイストも、基本のところはマアマアで、そのひとつがことばである。

グーグルで「はじめに言葉ありき」で検索して出てきた、石井久二さんの絵を貼っておく。

三角形の下の大部分の台形も世界だし、となりと共有している小さな三角形も世界である。

一般に世界というと、上の小さな三角形。
哲学者は、下の大きな台形の存在に気づいて、その中で遊んでいる。ちゃんと考えるには、脳みそは小さすぎるし、命は短すぎるってことを忘れて遊んでいる。