八重の桜21:竜馬が生きていたら


慶喜の失脚の原因は、兵の暴走である。

竜馬がいたら、きっと、兵の暴走を止めていだろう。

土佐藩の藩主山内容堂は、御前会議で松平春嶽と共に不在の慶喜の為に頑張っていた。

容堂は竜馬を推挙したはずである。

後に幕府の陸軍総裁に取り立てられた勝海舟の一番弟子が坂本竜馬である。

生きていれば、それなりの役についていただろう。

竜馬が暴発を止めれば、慶喜−容保ー松平定敬桑名藩主で容保の弟)ラインは、日本の中心になっていただろう。

鳥羽伏見の戦いは、竜馬暗殺から1ヵ月半しか経っていない。

鳥羽伏見の2日目、威力を発揮する銃を持つ奇兵隊を、横から回り込んで襲撃する戦法は非常に効果を上げていたが、その優秀な指揮を執る指揮官は、悉く奇兵隊の狙撃兵の的になった。

八重の桜で、八重が薩摩軍の指揮官を狙い撃つのと同じである。

優秀な指揮官が狙撃尽くされて、幕府軍は後退を余儀なくさせられるが、狙撃の第一発は、一月半前の11月15日に、竜馬に向けて発射されていた。