馬鹿の傲慢さ


神社に行く。

挨拶をさせていただいて、今まで生きてこれたことの感謝を申し述べるのが本当である。

馬鹿はもちろん違う。

神様に対して命令しにいく。

「恋が叶いますように」

自分が相手に合わせれば恋は叶うが、それはイヤ。

相手が自分の思い通りに行動しますように。

煎じ詰めると、相手を恋の奴隷に自分は恋の王様にしろという命令。

「合格しますように」

合格するにはちゃんと勉強すればよいが、それはイヤ。

勉強しなくても、実力が足らなくても合格しますようにという不正合格命令。

「商売が上手くいきますように」

例え賽銭で万札投げたとしても、1万円の利益増くらいじゃ満足しない。

これほど傲慢なことなのであるが、大衆は考えないので、ほほえましい行為って言うのが常識。

大衆は傲慢なので、神様が自分の自己満足のために尽くすのが当たり前だと思う。

お前は、ゼウスか、天照大神かって言ったって、理解は拒絶する。

政治が大衆の幸福を実現するなんていうのは、大きな思い上がりである。

「みなさんの幸福を実現します」なんていう宗教団体だとか、政治団体とかがあるが、その団体は、自分の幸福を実現してくれないのは、理解できる能力を持ちながら、政治には何の疑いもなく期待する。

個人からのほどほどの略奪で済ませてくれるのが、いい政治である。