江−説明的芝居はつらいよ(会社を潰された社長令嬢たち)
武士である父を殺されて怨んでいるというのであるが、当時の感覚では、そんなのありえない。
だって、家自体が、敵将やその家来を殺すのがお仕事なんだから。
優しそうな顔をしているけど、浅井長政も柴田勝家も、自らの指揮で殺した人数は数千人にのぼるだろう。
自分で殺した人数も十人や二十人じゃないはず。
そういう理屈よりも、戦であれば、味方も死者が出る。
お友達のお父さん、お兄さんが死んじゃって取り残されたというのは、イヤというほど見てきているというか、日常化していたはず。
勝敗は時の運というので、生まれつきあきらめというか、かくごというか、そういうのが日常化していたはずである。
しかし、今は人殺しなんてほとんどない、病気でもめったに人は死なない時代。
当時の感覚のままやってしまうと、視聴者のおばさまたちは、離れてしまう。
なので、茶々も初も江も、感覚は今の人間と同じで話を持っていかなくてはならない。
そうしないと、視聴率がた落ちで、もう二度と仕事がこなくなるし、社会的地位も暴落である。
「ああ、あわせてるなぁ」
って、とっても感じる回でした。
追記:でも、怨んではいる。
それは、家を潰された恨み。
当時の家は会社であるから、浅井も柴田も大会社である。今で言う、東芝とか大和ハウスとかであろう。
その、社長令嬢だったのに、会社を潰されてしまったという恨みは、持っていたはず。
しかし、そんな下世話な恨みじゃ、これもまた、視聴者様は引きつけられない。