江第4回:本能寺、唐入りの準備


秀吉の朝鮮出兵は、信長の言っていた唐入りを、猿真似したものである。

信長は、唐入りの準備で、光秀を石見出雲に国替えしたのではないか。

石見出雲は、日本だけで見ると辺境であるが、唐入りでは、日本の渡航基点になる。

秀吉は九州征伐の後、唐入りをやったので、九州から出航したが、同時にやろうとすれば、石見−対馬朝鮮半島というルートになる。

四国出兵への準備を上手にこなした手腕を買ったんだと思う。

朝鮮出兵で言えば、小西行長の役を光秀に与えたのだろう。

石田光成の役割は、本能寺の変で殺されてしまって、めだたない菅谷長頼、村井秀勝、津田元嘉がいた。とっても有能な行政官たちである。

本能寺の変では、信長の近習、有能な行政官、そして跡継ぎが、もれなく殺されている。家康なんか当時はそんな重要な武将じゃない。

中国の歴史では、君主がシイされた時、最も近くにいた重臣が責任というか、殺したことになるらしい。

そういう意味では、信長を殺したのは明智光秀であるが、光秀が犯人だとすると、目的ははっきりしない。

その後、信長の子供と忠臣を殺しまくって、天下を盗った秀吉が一番怪しい。

信長を殺したのが、秀吉の家臣であれば、首を取ったことは決して公言できない。

暗殺者と共に闇に葬るのが一番であるし、その通りになっている。