新大学構想その2
授業内容なんか、学部ごとに自由でいい。
だって、卒業生を採用することで、責任を果たすのだから。
しかし、馬鹿な主権者様たちは、理解しないだろう。文部役人どもも、「基準さえないなんて教育といえるのか」なんて、大反対のキャンペーンを張るだろう。
当然のことである。
口が出せないと、寄生できない。表向きは、規制なのであるが、実質は寄生。法律で正当化するが。
教育は文部役人が寄生するためにある。そのために、法律の裏づけを取った規制をする。
馬鹿な主権者様は、同調する。
東京で、マンガを規制したように、馬鹿げた事には大賛成なのである。
なぜなら、馬鹿だから。
これは、どうしようもない。
そして、主権者様なんだから。
この馬鹿な考えの太鼓もちになることで、議員さんは当選を果たす。
だから、日本の停滞は終わらない。
ま、例えば、技術系なんて、企業ごとに同じことを別々に官給する無駄も少なくなるだろう。
ソニー、松下、東芝、日電、日立そろって、サムソンに対抗しなきゃいけないので、いいことである。
スーパーコンピューターなんて、スーパーにクレージーなことに、巨額の無駄金を使うことも無い。
そのくせ、世界一の蓄電池には、すずめの涙。
ノーベル賞学者が、二酸化炭素からたんぱく質をといっても、スーパーコンピュータの方に、お偉いさんの寄生虫がついてしまっているので、金は回さない。
あーあである。
スーパーコンピュータというのは、万が一完成しても、まったく役立たずに終わった、戦艦大和である(巨大な船なら空母を、砲撃重視ら小さい駆逐艦を多量に作った方が戦争の役に立った)。
巨大戦艦も巨大コンピュータも万一完成しても、ヒット映画のモデルにしか役立たない。