竜馬伝(竜馬の交渉が成功した事情)


ひさびさにまともな回でありました。

紀州藩が、賠償金を払ったのは、「御三家ゆえに」という、事情がありました。

幕府は、弱腰外交で、賠償金を支払い続けています。

生麦事件で4万両、薩英戦争で、薩摩に貸した事にしてますが(薩摩は返していません)6万両、下関戦争では150万ドル(半額にまけてもらっての数字)です。

1ドル4両計算で、37万両。

もともと、目的は開港にあり、こんな多額なお金を払えなうだろうから、もうひとつの選択肢の開港を選ぶだろうと思ったら、なんと、賠償金の支払いを選んだという弱腰。ま、朝廷から姫をもらっているので、朝廷との不和を避けるためともいえますが・・・

そんな中、土佐が連れてきたのが、イギリスの提督。

提督といえば、アメリカの提督のペリーは将軍に対等の立場で謁見していあす。イギリスは、アメリカの兄貴分に当たる国であります。

親藩勘定奉行ごときが、怒らせていい相手ではありません。
怒らせてしまっては、大親分(幕府)の支払った37万両が、無駄金になってしまいます。
ましてや、大型蒸気船で江戸に乗り込まれては、勘定奉行一人の切腹ではすみません。
ま、外国が出てきたら、賠償金を払ってかたをつけるというのは、役人の先例になっていたともいえます。

一方、仲裁というのは、名誉のある仕事です。日本の藩は小国の様な存在であるのを知っていたでしょうから、小国とはいえども国の間の戦争回避の交渉を見事成功させたとなれば、これは、提督にとって、自慢できる手柄話であります。なので、あの提督は、依頼されたときは喜んで仲裁に出てきたと思うべきです。

いろは丸の談判は、この辺の事情を、十分理解して、どうすればいいかをちゃんと考えて、人脈をフルに活用して、談判にあたった竜馬の、一世一代の手柄話でありましょう。

この辺の事情をもっと描いていれば、わかりやすかったと思えるのですが、あの程度が、スタッフの限界なんでしょうが、まあまあ(批判に値するレベル)でした。

なので、二度見しちゃいましたが・・・