竜馬伝:近藤は、戦で軍功を上げたい、その戦は始まっている


第2次長州征伐が決まって、将軍家茂は、半年も前に大阪城にきているのである。

ま、公武一和の為、朝廷と一々相談しているからか、そもそも幕府が弱体化しているのが、とってもモタモタしているが・・・

薩摩みたいに長州と同盟するとまではいかないが、戦争せずに多少の罰を与えて講和すべきであるという藩が、とってもたくさんいた。

(原因は、外国船打ち払い令を出した幕府自ら開国して、貿易で国内を困難に陥れながら、自分だけ暴利を貪る幕府への不信と、本当に外国船を打ち払った場合の、下関戦争、薩英戦争の一方的敗戦結果を知って、「何をやらそうと命令したのか」という、呆れだったろうと思われるが)

結局幕府は、講和案を持って大目付の永井を広島に行かせるのであるが。

軍勢は長州1万対幕府側15万であるので、家茂というか慶喜というか、幕府側は、勝ち目の無いはずの戦なんかするはずがないので、講和に応じると見ていた(第一次は講和に応じた)

で、新撰組は、大目付が行かれる広島の下見に、近藤自ら年末に出かけて、トンボ帰りして、大目付殿との同行の準備である。

薩長同盟の5日後には、大目付殿に同行して、広島に出立している。

とても、弥太郎を縛り上げて、叩いている場合ではない。

局長の近藤が、長州征伐という戦で、軍功を上げようと、上ばかり見ている(京都の治安維持なんて、瑣末な事は、もうどうでもいいのである)ので、新撰組の隊自体は、人員が増えたこともあって、まとまりがなくなっている。(大石鍬次郎の弟、大石造酒蔵同じ隊士の今井に切られたのが、2週間後。その1週間後会計方会計方、河合耆三郎切腹させられている。)

警察なんてやってる場合じゃないのである。戦が始まっているのである。戦で手柄を立てなければいけない。出撃がかなわないなら、全権大使である大目付の護衛が、最も重要な働きである。

そして、寺田屋で、竜馬を捕縛しようとしたのは、京都守護職松平容保と同じ「肥後の守」ではあるが、ぜんぜん別人の、伏見奉行である。

また、寺田屋で竜馬が襲撃された後なら、襲撃された当寺田屋の従業員のお龍の話は信用するだろうが、大事な薩長同盟の話し合いの最中に、関係の無い旅館の娘の話なんか取り次ぐ訳は無い。