「ねじれ」をいうバカ


昔、官僚は、犬議員を餌付けして、自分たちの私服行為を正当化する法律を、国会で数で通していた。それが、できないことを称して「ねじれ」というが、そもそも、そんな官僚の思うが侭は、変なことなのである。

国会は、日本では、与党が時間稼ぎ、野党はスキャンダル追及の場であるが、日本以外では、議論の場である。

A案の主張する甲と、B案を主張する乙が、議論して、A’案にたどり着くのか、国会の場である。

それを、あろうことが、「ぶれる」っていう。

多くの国民は考えるのがだいきらいのなので、案は全部お上に考えてほしいのであるし、お上である官僚は、自分たちが権力を行使し、私服を肥やすのを法律で正当化するために、全部自分たちのいいように決めたいのである。

それは、官僚の出すA案なのであって、国民の利益を考えたB案なんかでは、困るのであるし、妥協したA’案でも、好き勝手できなくなるから、我慢できないのである。

だから、機密費で買収した犬マスコミを使って、官僚の出した案を修正するのを「ぶれる」と表現して、悪いイメージを与える。

自民党は、ご主人である官僚様の作った法律案をソノママトうすのが、一番のお手柄なので「ぶれる」のは大嫌い。

「ぶれる」を悪としてしまえば、自分たちは何も考えずに、ご主人の官僚のお作りになった法律案を、数の力で通せばいい。

「ねじれ」というのは、官僚支配を前提とした概念であることを知りましょう。

日本以外では、ぶれるといわずに、調整されるといいます。

日本以外では、国会は調整の場、すなわち、ぶれる場なんですよ。

オバマは、ぶれにぶれまくって社会保険案を可決したから、できる大統領って評価されているんですよ。