法律信仰:都のエロ漫画規制条例


役人共が信仰している宗教が「法律教」である。

法律で決めさえすれば、それは、客観的で公正だという。
恣意的にはならないという。

しかし、実際は、法律による成文化というのは、役人の恣意を正当化しているだけなのである。いいかえれば、「俺がルールブックだ」という状態を作り出している。

しかし、表向きは、法律に決まっている。私はそれに忠実に従っているにすぎないと言う。

例えば、今問題の都のエロ漫画規制条例。最高は20万位の罰金。

確かに、エロ漫画はあって、エロ本と同列に規制すべきである。

が、それを、エロ漫画とはいわない。

18歳未満の登場人物による、強姦等の著しく社会規範に反する行為を肯定的に描写した作品という。18歳未満となったのは、ボケが、性犯罪を扱うのなら、成人の性描写はさけられないとかいう意見を言ったからであろう。

有害なエロ漫画というよりこっちのほうが、より明確だというボケた感覚。

有害なエロ漫画というのは、総合的な判断である。
こんな2行で表現できるものじゃない。

有害なエロ漫画という概念は、人によって大きなばらつきがあるというのを、まず、理解しているのだろうか。
暇をもてあましているPTAのおばちゃんたちと、想像力は一切評価されない石頭優等生の役人たちが思う「有害なエロ漫画」は、規制すべき「有害なエロ漫画」とは、大きくかけ離れているというのに、それを、ごり押しして、いいや正しいことだと権威付けているのが、成文化された条例である。

何の理由にもなってはいないのであるが、信仰が浸透しているため、成文の後ろ盾があれば、ちゃんとした規制だということになる。

異教徒には、ばかげた風習であることは明白なのであるが。