竜馬伝、弥太郎の江戸行きの話


弥太郎が、先に江戸にいったのをうらやんでいたのは、竜馬ではなく、分家の同級生の馬之助である。彼は1年前に江戸詰めになった教授館頭取の「従僕」という身分で、江戸行きを許可されていた。
弥太郎は、安政元年夏、奥宮忠次郎という武士が、江戸詰めになることを聞き、その足で、12kmは離れた初対面の奥宮邸に出かけ、母の姉の夫である、塾の先生岡本寧浦を引き合いに出し、自分はそのおいにあたると説得。
従僕としての同行を了解してもらって、すぐに郡役所まで行き届出、また戻って、奥宮と出立の段取りの打ち合わせをして決めたものである。(PHP文庫 立石優 「岩崎弥太郎」より)
二日で百数十キロを走破したと自慢していたので、本当だと思う。

そして、留学の費用は、初期のオリンピックみたいに各自持ちであって、父が山とか畑を売って(郷士株は祖父が売ってしまっていたが、山や畑はまだ残っていた)、費用を工面したとある。

本当のことを書いては、歴女の皆様の感動は得られないというのか。