「竜馬伝(黒船と刀)」戦闘ゲームじゃないんだから


戦艦と刀って、用途が違うから。
攻撃力の大小で比べて、小さきゃ意味が無いってものじゃない。

町を焼き尽くしたり、城や砲台を破壊するためには、戦艦であるが、それだけで戦争は終わらない。

ミサイルと戦闘機で圧倒したイラク戦争を見ればわかると思うが、大変なのは、その後である。
兵の損害も、その後に集中している。

上陸した兵とゲリラ戦を行うには、修練を積んだ剣術の達人はとても有用である。
硫黄島でも、島の形が変わるほど船から大砲をぶち込まれたけれど、守備隊の損害はなかった。トンネルが100%完成していて、命令を無視する将校がいなくて、十分な水と食料と弾薬があれば、上陸部隊を壊滅させることができた。命令を無視する将校がいっぱいいても、日本軍の弾薬のあるうちは、上陸したアメリ海兵隊は海岸にへばりついて、砲弾が飛んでこないことを祈るだけの地獄の中にいた。海兵隊が上陸して白兵戦が始まれば、戦艦はもう出番が無いのである。)

怒らせると刀を抜いて切りかかってくる侍の存在は、日本の植民地化を躊躇させた大きな要因であったはず。

なので、黒船を見た段階では、「いよいよ活躍の場が来た」って喜んだはずである。
また、実際に戦に備えて警備に当たったときも、本来戦要員であるはずの侍でありながら、爺さんヒイ爺さん、ヒイヒイ爺さんの代でも無かった実戦である。200年も前に終わってしまっていた実戦である。
たった50年ほど空いただけの自衛隊イラク派遣隊の緊張と興奮の比じゃなかったと思う。警備に参加できただけで、かなり興奮と満足をしていたと思う。

現に、異人の首を取ってやるって手紙を書いているし、千葉道場も入門希望者が急増している。

竜馬が、「剣術じゃあかんぜよ」って思ったのは、もっともっと先の話であろう。そして、その理由も、万人が共感を得るようなありきたりな理由じゃなかっただろう。それだからこそ、竜馬の存在価値があるのであるが。

しかし、それじゃあ見ているお嬢様、おば様たちの共感を得られないって言うので、「黒船と剣」って、この時にってしたんだろうと思う。大衆演劇の筋書きとしては、いい手法なんだろうけど・・・