「戦争」について


日本で戦争について、語られるとき、語る対象は、あの「デタラメ」である。
「デタラメ」なんだから、悲惨なことで、あってはならないことであり、二度としてはならない、二度と国がデタラメやってはいけないっていうのは、当然のことである。
だって、デタラメなんだから。

でも、デタラメって言うと、支配者様は責任を追及される。軍人年金とか恩給とかで、悠々自適の生活を送れなくなるから、デタラメといわずに、戦争という。

選挙目当てのバラまきを景気対策というが如しである。

タイムマシンなんて無い。

過去には戻れないから、太平洋デタラメと同じデタラメというか、相手国にとっては、戦争であるが、そんなのは、もう無い。
赤紙が来るとか、考えても、妄想である。

会社と同じように、使い物にならないものは、兵隊であっても不要なのである。そんなのいちゃ、かえって軍が危険なのである。馬鹿は、全体を損なうのである。

占領後に派遣して、敵のいないところで、銃持っているだけの最低の役割でさえ、住民を殺すとか、捕虜を虐待するとか、余計なことして、国際世論を敵に回しちゃうこと、しでかしちゃうのである。

軍隊であっても、馬鹿は使い道ないというか、居ては有害なのである。

戦争って言ったら、今のアメリカでしょ。
正確に言えば、戦争も日々進歩しているから、今のアメリカの戦争も、来年は時代遅れなので、十年後に予想される戦争を想定しなきゃいけない。

戦争を語るなら、アメリカを語りなさい。

アメリカが、今やっていることが、戦争なんだよ。
戦争していながら、その指導者が、ノーベル平和賞受賞するのが、クレバーな戦争なんだよ。
一国ではなく連合国ってことで、強い国がよってたかって、弱い国を攻めるのが、戦争なんだよ。ま、学校でいうとイジメラレ役固定のいじめが近いよ。

しかし、平和主義者は、決して今のアメリカなんか語らない。