次の次の大河の筋予想01(おごう)


小谷城落城(この年に生まれた?)兄弟の長男殺される。
信長に母と共に引き取られる。
10歳まで、信長の下で生活。
夫と長男を殺した兄の下で暮らす母に、生まれてから10歳まで育てられたことになる。母の複雑な気持ちはおごうにかなり影響をあたえたことだろう。
領地の外では戦乱が続いていたが、信長の地元は平和だったろう。
知り合いのおじさん、おにいちゃんが戦争に行って帰らないのを、また、手柄立てて出世するのを見ていたろう。
安土城完成は見に行ったはず。
10歳の時、本能寺の変。おじさん(信長)といとこ(信忠)死亡。
2週間くらい叔父さん(信長)の生死不明。その間に、光秀死亡。
やっぱりなくなったんだろうって事で、今後の織田家の方針会議が4週間後。柴田勝家なんかは、落としたばかりの富山の魚津城から長躯帰還。母お市清洲会議には出席しただろう。
信長の孫が世継ぎと決まったというのが史実であるが、まゆつば。
たぶん信孝が世継ぎ。もしくは、孫の後見人は信孝だったはず。これに不満をもつ信雄に取り入って、秀吉暗躍開始。
織田家の結束のため、母お市が、第一の家来の柴田勝家に嫁ぐ。尾張から北ノ庄城(福井市)へ引越し。
しかし、1年もしないで、落城。母と新しいおとうさん(柴田勝家)自殺。主力を失った信孝おじさんも敗戦、幽閉、切腹
今度も、両親を殺した犯人(秀吉)の元に引き取られる。
すぐに佐治一成と結婚。おごう12歳、一成16歳。
しかし、同じ年の小牧長久手の戦いで、おじさん(信長)の最後に生き残った子供信雄(おごうのいとこ)に味方した=秀吉の敵についたため、強制離縁。

で、時期は不明だが、秀吉のおいの秀勝に嫁ぐ。この夫の兄が、後の関白秀次。
秀勝とは、5年くらい暮らして。長女もできたが、吸収征伐、小田原征伐朝鮮出兵と夫はほとんと出張中。
親戚ということで、いい家臣団をあたえられてのだろうが結構活躍。しかし、最後の朝鮮出兵で戦死。家臣団は例の、小早川秀秋に引き継がれる。おごう20歳の時に未亡人。
その前に、秀吉との仲が上手くいかなくなった夫の兄、関白秀次は粛清されているので、戦死なのか粛清の仕上げなのかは、不明。

ながくなるので、とりあえず20まで