天地人ですっ飛ばしているところ:家康の陰謀


上杉の会津移封は、朝鮮出兵を、伏見城修理で1年延ばし、その後の朝鮮出兵引き伸ばし策だったと、前回言った。
が、ここに家康の陰謀が見えてきた。

そもそも、朝鮮出兵は朝鮮が目的では無く、明を相手にした戦争で、最初の休戦の理由は、、生母大政所の死とか、お拾いというか、後の豊臣秀頼誕生のせいではない。秀吉は、明から降伏の使いが来たので、それと謁見した後に、引き上げている。

最初の戦いで朝鮮に渡ったのが、五大老では、宇喜多秀家毛利輝元上杉景勝名護屋城に残ったのが、徳川家康前田利家と秀吉。
この秀吉、生母の危篤の報で大阪へ引き返す。葬式済ませて戻るまでの3ヶ月、指揮を代行したのが家康と利家。
で、この二人、後一歩というところで渡海はしていない。
明の使いが降伏を言ってきたからであるが、この使いの宿舎は家康と利家の宿舎。
たぶん、言い含めたのではないか。というか、秀吉が戻った時に明の使者を手配して、訪れた使者に、本番の打ち合わせを念入りに行ったのではないか。

後に明は女真族という、よわっちい部族に滅ぼされている。当時最強の軍備と、50万という現役兵士を擁する日本は、普通に戦争して、明に勝って不思議はない。秀吉はちゃんと判断していたが、家康は田舎者である。日本が明に勝てるなんてありえないって信じている。なので、今の歴史家通りに、無謀な戦争は早くやめたいと思っている。秀吉が帰って、指揮を代行したのをいいことに、戦争の終結を図ったんだろう。

戦争をやめて引き上げれば、西国の大名は大出費でかつ、得るものは無く疲弊し、不満が起きる。この不満が関が原で家康に味方した東軍や、動かなかったり裏切ったりした毛利一族につながる。

偽りの和平もそのうちばれる。で、怒った秀吉が第2次出兵。
この出兵は、秀吉の死で中断させる目論見だったんだろう。
その予行演習が、関東で目障りな蒲生氏郷
京都伏見屋敷で40歳で急死というのは、そうなんだろう。2年前にうまく成功している。

ましてや、今度のターゲットは高齢の秀吉。誰も怪しまないというか、あやしまさせない。

で、第2次朝鮮出兵五大老宇喜多秀家毛利輝元は出兵。
しかし、前田利家は病気で寝ている。家康と相談した前田だからであろう。結果を知っている。しずがたけの戦いで急に兵を引いたのを同じ手法である。

不穏な空気を察知したのか、かねつぐは、伏見城の改修を理由に1年秀吉のそばで粘るが、1年じっと待った家康は、かねつぐ、景勝を会津に移封させるのに成功。移封のため、かねつぐと景勝が伏見を離れたのを確認して、ひとり乗り込み、秀吉を殺して、政権を握る。

有力武将が戦争で地方に出払っている隙に、光秀が起こした本能寺の変と、状況は同じである。しかも、老衰ってことにできる。これには、非業の死を遂げさせられた関白秀次一派の協力もあったと思われる。