徳川家康の天下取り


徳川家康といえば、関が原の戦いとか、大阪冬の陣、夏の陣とか戦争して勝って天下人になったように、徳川家のお抱え歴史家は書くが、信長と比べれば、二桁、秀吉と比べても一桁、戦争の数は少ない。
ほとんど戦争なしで天下を統一している。
で、それは
「徳川殿は依怙はしない」
ということだったからだと思う。
領主様の大切なお仕事のひとつに、裁判というのがある。
今の中央集権国家と違って、中央の役人のいる裁判所なんで無いので、揉め事は、領主様が裁断する。
今は、司法立法行政と3つに分けているが、当時は表(軍事)と裏方(予算会計)くらいで、裁判に相当するものは、ちゃんとはっきりしていない。
特に、評価というのは重要である。

社長はいいが、取締役クラスは、ちゃんと評価しないと腐ってしまう。
例えば真珠の売り上げを、東京支店長とニューオリンズ支店長を売り上げだけで評価したら、ニューオリンズ支店長は腐ってしまい、あっという間に転職してしまう。
しかし、ローマ支店長とカイロ支店長では、どうだろう。きっちり有利な点不利な点を評価するのは、現場を知らない社長は大変である。
現場を知っていても、それは新規分野である物資の調達、新規開発の分野の常務が石田光成。ベテランの営業マンを社長室付きの情報システム部長が評価するようなものである。
不満がたまって、べテランの営業マンはことごとく、現場たたき上げが社長やっている徳川家に転職。とりまきに囲まれている淀殿豊臣秀頼は、気づかない。むしろ、当社には優秀な転職希望者が引きも切らず、大阪城に集まってくると思う。実際そうだったかもしれないが。

しかし、光成に懲りた豊臣古参の武将は、「淀殿や、こどもじゃぁ、まっとうな評価は期待できない。ちゃんと評価してくれるのは徳川殿」と続々と徳川に転職。
武田の有力営業マンも徳川へ転職。

実力あるものをちゃんと評価するということだけで、天下をとった家康は、やっぱり狸か?。