八重の桜19:王宮クーデター
大政奉還して、徳川慶喜と幼い新帝の摂政である二条斉敬による政治体制派完成。
10月14日である。
そして、王政復古の大号令がでる12月9日まで、新体制で着々と仕事を進めていたはずなのである。
ところが、水面下で進んでいたクーデター。
慶喜討伐の密勅の日付が10月14日なので、大政奉還の日は、また、岩倉具視らが、クーデターを決意した日でもあるはず。
決意は薩摩、長州に伝えられ、薩摩は諸侯会議出席の藩主警護の目的で3000の兵を上洛。
そして、慶喜の新体制に目ざとく擦り寄った山内容堂の土佐藩に、情報が漏れるのを防ぐ為に竜馬暗殺(11/15)。
御前会議の当日、ドラマでは、だだを捏ねる為に欠席したように描かれているが、実際はクーデターを知り、その対処に大童だったはず。
クーデターの情報を得ていない容堂や春嶽は、御前会議で盟主がまだ慶喜だと思っての発言。
王政復古の大号令の肝は、摂政の廃止。
幼帝には、こんな決断できない。
慶喜は、長州の復権を覚って、ひとまず大阪城に退却して、臨戦態勢。
無位無官の岩倉具視が政治の表舞台にしゃしゃりでてくるのは、彼がクーデターの実行隊長だったから以外に考えられません。