江−2,30年続いた女子の政治
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秀吉の天下は20年である。
信長が将軍義昭を奉じて上洛してから本能寺までと同じである。
が、ドラマでは、ちゃんとは描かれない。
20年前といえば、千代の富士かまだ相撲を取っていた。牛肉とオレンジの自由化もめており、雲仙普賢岳の爆発、ソ連では最後の大統領ゴルバチョフの時代である。
かなり長い時代である。
女性が政治に進出していた時代である。
公家の影響もある。
催しも、男の好きな茶会から、女子や公家好みの花見。
醍醐の花見は女子の政治の象徴である。信長の馬揃えに匹敵する。
信長の馬揃えの様に駕籠にも順位が合って、一の駕籠が北の政所、二の駕籠が淀君、三の駕籠が松の丸殿(竜子様であります)、四の駕籠に三の丸殿(ドラマでは省略)、五の駕籠が加賀殿(これも無視)、そして「利家とまつ」のおまつ殿が続きました。
女子の政治界の一大イベントです。
秀吉は、金は出すが口は出さないパトロンに過ぎません。
朝鮮で戦争していますし、徳川の押さえとして期待していた蒲生氏郷が早死にした後、もめていた会津にようやく上杉景勝が入ってくれることを朝鮮出兵の免除と引き換えに了承してもらって、移封が始まったばかり。(朝鮮に出兵して辛酸をなめた武将たちは、「上杉はズルい」と家康の上杉討伐に参加して関が原になっていくんですが)
とても、花見どころじゃありません。
でも、女子は、そんなこと気にしません。
いろんな駆け引きもあって大いに盛り上がっていたんでしょうが、そして、この流れは、大阪城の淀君の政治に引き継がれ、さらに15年続くのですが、この女子の歴史は徳川家康が、大阪城を埋めちまったのと同じように、徳川幕府の手で歴史の穴の奥に埋められちまっています。