江−サロン・ド・聚楽第
人質として、座敷蠟に入れられていたわけではない。
奥方として華やかな外交をやっていたのである。
場所は聚楽第。
聚楽第の前期は秀吉。
その後政治の中心。集められた奥方達も華やかな外交をしていた。
前田利家の奥方、お松の方、武田勝頼の娘で上杉景勝の妻、菊姫、前田利家の娘で、五大老の筆頭宇喜田秀家(家康が筆頭といわれたのは、関が原で家康が勝ち、秀家が敗れたからである)の正妻豪姫、勿論三姉妹、細川ガラシャ、記録には残っていない毛利輝元の妻、南の方等々。
大奥なんてもんじゃない豪華なメンバーが、日本史の中でのベルサイユ宮殿に匹敵する聚楽第で、華やかな外交をやっていたはず。
92年からは関白を譲られた秀次。
秀次に肩入れしていた、伊達、蒲生、最上なんて武将の奥方様も加わって、最も華やかだったはず。
三年で秀次は殺されるが、サロンは伏見城に移っただけ。
この女政治は、秀吉の死後、大阪城へ移っていく。
その中心は、いわずもがなの淀君。
江は、成金の箱入り娘じゃないんだから、嫁ぎ先の屋敷に引きこもって悶々となんかしちゃいない。
サロンの場が、聚楽第から伏見城に移って、上手くやるために、大忙しだったはず。
こんな都人のサロンに出せる女子の居ない徳川が、江をスカウトしたのが、秀忠との結婚。
結婚直後は、サロン活動が忙しくて、子作りなんかしている暇がなかったというのが、実態。
多忙な女性外交官でありますから。
1年してようやく徳川のためのサロン活動が軌道にのったので、安心して子作り。
この華やかな外交を描いてほしかったというのは、彼女にも、おにいさんにも無理なお願い。
徳川が淀君と一緒に抹殺してしまった歴史であるから。