善人がニコニコ笑いながらやっている人種差別
空き缶は、犬や猫が捨てたものではない。人間が捨てたものである。
「同じ人間」という人権思想であれば、捨てる人に注意して、捨てさせないようにするのが、筋である。
しかし、黙々と拾う。
日を決めて、定期的に拾う。
捨てることについては、あきらめている。
空き缶拾いに参加する人は、もちろん空き缶なんか捨てないし、そんなのは、わかりきったマナーとして身についている。
しかし、空き缶拾いは、そんな基本的マナーも無い人が捨てているから、実施しなければならないのである。
昔の名主さんのちゃんと管理している村であれば、そんなことをするよそ者を探し出して、止めさせるか、もしくは、村から追放しただろう。
同じ人間としてみているから、決まりを守らないものには、相当の罰を与える。
同じ人間としてみているからである。
しかし、空き缶拾いには、捨てる人への働きかけが無い。
野良犬野良猫と同じと考えているのである。
野良犬野良猫に、人間語で注意しても効果が無い。
空き缶くらいで、命を処分するのはちょっとかわいそうである。
空き缶を捨てるのが、ゴキブリやハエ、蚊、蜂なら、容赦なく殺虫剤で命を処分するだろうが、犬猫は問題になるし、人間だったら、処分は、殺人罪になってしまう。
説得ですら、相手が苦痛に感じれば、それは暴行罪である。
そうれよりも、捨てる人間をどうこうしようなんて、そもそも考えていないだろう。
「別な人間だ」と、仲間意識からはずしている。
完全な、差別である。
ま、空き缶を捨てる人間は、この差別によってなんら不利益を蒙らないので、問題として取り上げられることは無いが。