押尾裁判で問題になる、一般常識と司法のずれ


争点は多いが、ずれが問題になるのは「致死」の部分。

保護責任者遺棄罪か、保護責任者遺棄致死罪かのところである。

麻薬もあるので、最高8年か、最高30年かの違い(たぶん)である。

検察側の証人を採用するなら、119番したら、ほぼ100%助かったというので、「致死」の責任は問題なく問えるが、弁護側の証人の「119番しても、助かる確率は30〜40%」を採用すると、司法判断は普通の常識を離れてしまう。

司法の常識というか、判例なので、司法の決まりといってもいいが、それに従うと、119番しても、助かる確率が30〜40%ならば、「致死」についての、罪には問えないというのが、決まりである。

しかし、それは、遺族は到底納得しないし、一般人は違和感を覚えるだろう。

一般人というのは、電車の転覆事故にあって、たまたま自分の下で亡くなった人についても、自分のせいだと、一生苦しむのである。

その場に居合わせないと、「そんな事を気にするな」って言えるのであるが、実際に体験すると、とってもそんな気持ちにはなれないそうだ。

助かる確率が3割もあったなら、電話しなかったら、一生苦しむだろう。

でも、学問的には、100%近くないと、「相当因果関係が途切れてしまう」らしい。なので、その点については、罪には問えない。

学問でよく言われるのが、交通事故で両足を折る怪我をさせて、入院した病院が、たまたま火事になって、身動きができずに焼死しても、死んだ責任については問えない。というもの。

理屈ではそうかもしれないが、「足を怪我していなければ逃げれたものを」という非難は、一生付きまとう。

一般人の常識を司法にということで始まった、裁判員裁判。今判決は注目である。