竜馬伝(こんな武智など、見とうはなかった)

天地人の時に言われたフレーズだが、

予算の関係で登場人物を減らしたせいだう。

もう、駄目である。

京都守護職として会津松平容保が入ってきたから、長州は追い出されたのである。

攘夷は、外国船にコテンパンに負けたから言わなくなったのである。外国に勝てとは命じたが、負けろとは命じなかったってことである。

公家らしい理屈である。(鹿児島の様に京が丸焼けになってはたまらないし、下関の砲台の様に御所が占領されてはいけない)

外国に勝つため、勝の塾は評価され、勝海舟軍艦奉行並から軍艦奉行に出世するのである。出世した勝海舟が妬まれて失脚するのはもっと先である。

竜馬の仲間は4人じゃない、何十人もいて、何十人も死んでいる。

政治犯は普通の犯罪とまるで違う。勝てば官軍なのであるが、負けたら賊軍。攘夷反対の容堂が帰ってきたことで、もうお終いなのである。武智が使えたのは、土佐藩山内豊範であり、豊範が、江戸に蟄居していたはずの容堂に屈した時点で、武智はお終いなのである。

(以蔵なんて下っ端を捜索はしない。ましてや、京の警察は会津藩であるのに、そこを土佐藩の取り方がうろついたら、会津への敵対行為である。北朝鮮に日本の警察を送るようなものである。前のは、藩主の入京に随行していたから、取り方2名も京に入れたのである。容堂は、在京の藩士が、不逞浪士とまちがわれちゃいけないというので、帰還命令を出したのである。それなのに、その京都で、土佐藩の捕り方から逃げ回る以蔵なんてナンセンスである。土佐藩の捕り方の方が新撰組に捕まってしまう)

歴史上の人物を登場させるメロドラマなんて見たくはない。

こんな竜馬なんて、見とうはなかった。もう見ません。