竜馬伝 山本琢磨の話


勤王の浪士というのは、強盗まがいである。

日本の王様は本当は天皇であると金持ちに説いて回り、寄付をもらう。寄付を拒むものは、見せしめに、逆賊ってことで、火をつける。

新撰組で、芹沢鴨が、暗殺される前、勤皇浪士としての普通のこの強奪行為に対して、新撰組を支援することになった会津の殿様が不快に思って、近藤らに、粛清を指示したのであるが、芹沢は勤皇派浪士としては、当たり前のことをやっていたまでである。

なので、当時の懐中時計は、今で言うアシモ以上の価値があって、それを持ってきたというのは、ホンダから盗んできたのは明白ではあるのだが、それ自体がそんなに大したことじゃない。

それより、政治である。

雄藩による共和制による、穏やかな改革を推進していた安部正弘を支援していたのが、雄藩の殿様たちであって、その中には、土佐の殿様の山内容堂もいる。

若くて優秀な阿部正弘についていけば、大丈夫なはずだったが、徳川家の威信を絶対的に維持していくんだという頑固者たち(井伊直弼他)がいくらいても、大丈夫なはずであったのが、38歳の若さで急死してしまい、今や反改革派の井伊直弼が主導権を握ろうとしている。

後に、安政の大獄という粛清を始めて、阿部一派というか、雄藩連合による共和制に加担した勢力をつぶしていくが、山内容堂も隠居させられてしまうが、それは先のことであるが、事件が起きたのは阿部ちゃんが急死してしまった翌年である。共和制に暗雲が漂っている真っ最中である。

つまらないこと(懐中時計の強盗)を口実に、政権から排除されるのを恐れたのだと思う。(後でまとめて排除されちゃうのではあるが。)

だから、攘夷を進めるにあたって正義を貫くとか、そんなことじゃないと思う。
時期が悪かっただけである