小泉被告の主張へ:広げすぎちゃいけない


命一般が尊いのではない。
見知っている人の命が尊いのである。

すべての人の命が等しく尊いのなら、餓死する人を放置はできない。

すべての文化、科学は、見知らぬ人の餓死を無視して続けられる。

そもそも、すべての人の死を痛んでいたら、いや、悲惨な死ということで、餓死や薬が買えないための病死に限定しても、3秒に一人である。
毎日寝ないで悲しんでも、一人3秒しか悲しめない。
毎日10万人生まれて、10万人死んでいる。
生まれたときと死ぬときに、名前を思い浮かべるだけで、大変な作業である。普通の人にはできないし、意味も無いだろう。
ましてや、過去の人を加えると収拾がつかなくなる。

知らない人は、ほっといていいのである。
一歩引いてというか、実質百歩か百万歩引いて、義捐金でも寄付しておけば、いいのである。

区別しなきゃいけない。知っている人と知らない人を。

で、そうすると、知っていれば、犬でも家族同様。
殺されれば、憎しみは大きい。

しかし、それは、自分の犬を殺した人限定に、うらまなきゃいけないし、それより、その人に犬を渡してしまった自分を責めなきゃいけない。

犬一般に広げちゃいけないし、保健所職員一般に広げてもいけない。ましてや、厚生省まで広げちゃいけない。