白人の宗教は殺戮を躊躇わない


イスラム軍に、銃を持つ聖職者兵が入っていることについて、BBCがレポート。

「聖戦(ジハード)なら残虐行為にもためらいが生じない」

兵士が答える。

こいつらにとって、異教徒の殺戮は、TVのゾンビの殺戮と同じに思えるのだろう。

経典のおなじキリスト教イスラム教も、聖戦に対する考えは同じである。

仏教には、あるだろうか?
キリスト教が全世界を支配しようとした大航海時代、日本は戦国時代だが、この時だけ、日蓮の一派は戦った。たぶん、キリスト教への対抗だと思う。為政者である秀吉、家康も危険を感じている。
それ以外というか、この特殊なときの特殊な一派以外は、日本の仏教の聖戦はない。僧兵というのは、やくざみたいな、単なる乱暴者である。もしくは、寺院という金持ちの財産を守るための私兵である。

中国でも、神(=聖霊)より偉い仙人は、山に篭って霞を食べている。引きこもりみたいなものである。大衆の先導なんかしない。

仏教国のタイでは、過激な僧は、抗議のために焼身自殺をするが、異教徒は殺さない。

やっぱり蛮人なんだろう。白人は。

銃を持つ聖職者は、兵を勇敢というか、凶暴にすることはできるメリットがある一方、例えば聖地からの退却なんて、宗教的にはありえないので、将軍の命令を聞かなくなるというデメリットがあるらしい。